岐阜県各務原市の漢方専門薬局

    根本からの改善をめざす漢方薬局

岐阜県各務原市新鵜沼台1-144
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※祝日を除きます。

漢方あれこれ


漢方に関することから日常生活で気づいたこと、  近況報告などを載せていきます。

2021

1月15日「狂い咲き」

昨日から日中は少し暖かく、日差しも春めいた日になってもう春も近いかと感じてしまいますが、まだ一月、春はまだまだですね。こんな風に感じるのは人だけでないようで、庭のリラの花も二輪ほど狂い咲きしていました。

緊急事態宣言で、家にこもることが多くなり、不安やストレスを感じる方も多いと思いますが、こんな時だからこそ、感染に気を付けつつも、時には日を浴びて、体内リズムを狂わせないような生活をしたいものです。

2019

5月20日「仕事の後のビール」
大型連休も終わり、普段の生活のリズムに戻ってほっとしている方もおられるかもしれません。勝手なもので、休みがあまりに長いとありがたみを感じなくなりますね。ゆるんだ状態があまりに長く続くと、力の入れ方を忘れてしまいそうになります。緊張と弛緩が繰り返されることの大切さを感じます。

さあ、今日もおいしいビールを飲めるように頑張りましょう!


 

 

1月5日「明けましておめでとうございます。」

新しい年を迎えました。平成最後の年、これまでを振り返りつつ、より良い年にしていきたいと思います。より良く、という言葉はよく使われる言葉ですが、何をもって良いとするか、分かりやすく目に見える形では、経済発展もそのひとつに上がるかもしれません。しかし、今の経済発展の仕方は、人と人の関係を希薄にし、それにより発展を妨げている可能性があることを意見する記事がありました。人との関わり合いが、心の豊かさだけでなく、効率性を重視すると思われる経済にも影響することに意外性を感じます。漢方では、人の体内も、臓器同士が密に関わりあうことで、維持されていると考えられていますが、外的なものである社会、自然環境などとの関わることの意味を、新しい年号を迎える今年、改めて考えていきたいと思います。

2018

12月28日「今年もありがとうございました。」
庭で季節外れのライラックの花が寒々と咲いています。春のような暖かい日が続いていたところに急に寒さがやってきて、季節感が薄れているのを感じます。小さい秋見つけた、という昔の歌もありますが、秋、冬への移り変わりが少しずつ感じられた頃が懐かしくなります。

漢方では、季節の変化と共に心身も変化すると考えられていますが、目まぐるしく変わる気候の変化に反応しすぎると疲れてしまいそうです。
来年は亥年、周囲の変化にわき目も降らず、一心に前へ突進する猪のような強さが、これからの時代必要になるかもしれませんね。
来年が、皆さんにとって良い年でありますように!

 

11月5日「心
朝がつらい季節になり、紅葉も色づき始めてきました。今朝の新聞でムンク展の紹介をしている記事がありましたが、その中に’ムンクの叫び’の背景の赤と緑について、”強烈な色の組み合わせ”と書いてありました。先日行った近くのお寺の景色を思い出し、同じ赤と緑の組み合わせの背景でも、随分印象が違うものだなあと思いましたが、一見した大きな違いといえば、ムンクの叫びの背景の赤と緑の間には、青紫が配色されていますが、お寺の背景の赤と緑の間は池の薄緑のような色が入っています。3色目の色によって印象は大きく変わってくるのかもしれません。

それにしても、昔から日本人の心を引き付けてきた紅葉と、世界で最も有名な名画の一つに共通点があることから、感じとれるものは違っても、人の感情を大きく揺さぶる力をもつもの同士には何か相通じるものがあるのかなあと思います。ただその何かは、すべて理論的に導き出せるものであってほしくない気持ちもあります。なぜなら、これらは人の魂から生まれたものであると思いますし、AIの技術で人の心まで分析されてしまえば、人が感情をもつ意味さえも問われることにならないかと思うからです。感じること、心は、機械では代替できない最後の砦であってほしいなと思います。

6月15日「負のスパイラル」

今日は梅雨らしい、シトシトとした雨が続いています。昨日のような晴れた日は、気分も解放されて、外に出たくなります。また、大雨台風ともなれば、さあ今日は家にこもろう!と腰を据えます。一方、今日のように晴れでも大雨でもどちらでもない日は気持ちも外へ向かおうか内へ向かおうか定まらず、フワフワといったりきたり、ぼーっとしてしまって、気力がなくなりやすくなります。気力がなって何もしたくなくなると、考えることしかできなくなりますが、こんな時はいい考えも浮かばないので、否定的な気分になり、余計に無気力になって、と負のスパイラルに陥りやすい時期です。

こんなことを書いている私自身もすでに負のスパイラルに入っているのかもしれませんね。天気の力は恐ろしいもので、ちょっと油断するとすぐに引っ張られていってしまいます。こんな時は、考える時間を無理やり作らないように、なにか気軽に夢中になれるものを探してみるのも手かもしれません。梅雨の中休みをねらって、梅雨対策を見つけににでかけるのもいいですね!

 

3月21日「答え」

春分の日を雨で迎えました。祝日の私たちには少し残念なお天気ですが、畑では沢山の植物たちが芽を出し始め、喜んでいるようです。晴耕雨読ということで、小林秀雄著の「考えるヒント」を本棚に見つけて読んでおりましたら、言葉という小題のなかに、本居宣長が残した言葉の『姿ハ偽セガタク、意ハ似せ易し』(姿とは言葉のこと)についての考察がありました。一見すると逆(言葉は真似しすく意見は真似しにくい)と思ってしまい分かりにくいのですが、納得できる一面もあるなあと思いました。例えば漢方では、ある一人に薬を提供する場合でも、提供する人によって出す薬が異なることが多くありますが、どれが正解ということはなく、同じ場所に行く時でも経路が人それぞれ違うように、最終的な目的地が同じであれば、やり方は提供者の経験、個性によって変わってきてもいいと考えます。

また音楽でも、演奏する人が違えば同じ楽譜でも同じ演奏になることはないのですが、それぞれの人が意識するのは作曲者の意志に沿った演奏であって、演奏の形はは違っても、意識には近いものがあります。では最終的な意思だけをはっきり示した方が分かりやすいのかもしれませんが、はっきり示せるものでないからこそ音楽も存在するのかな、と思います。


最近知り合いから聞いた話ですが、大学の先生をしている人が、最近の生徒は人の話を一分以上はまじめに聞いてくれないので、出来るだけ短く話をするようにしてるそうです。これには、ネットの普及が関係してきているのかもしれません。分からないことは、検索すれば単刀直入に答えと思われるものが返ってくるネットでは、説明できない何かというものはあってはいけないことになりますし、その何かを分かってもらうための説明の時間は許されないのかもしれません。

同じ花を見ても、個々でその綺麗さを感じることができますが、説明はしにくいものですし、言葉での表現の仕方は人によって異なると思います。ネットによって分からないことすべてを解決させよう、一つの答えをだそうという習慣は、遠回りなまもの、説明できない何かを排除していくことにならないか、人の感じるという力を奪うことにはならないのか、はっきり答えがだせるものでないだけに心配です。

1月8日「極」

2018年が始まりました。今年もよろしくお願い致します。今年はどんな年になるのか、初詣のおみくじで大吉を期待して並んでいると、後ろの方が、大吉はそれ以上よくならないから良くないらしいと話をしていました。漢方でも、ある状態が極められると、その状態とは逆の状態へ変化すると考えられていますので、その意味でもうなずけます。

最近、極めた人、極めた商品など色々な所で「極」という言葉を耳にしますが、上の法則からすると、極めるとその先が良くないことになってしまいます。しかし、極め人と呼ばれる方たちの多くが、さらに大きな夢へと向かって進んでおられます。目指した地点に到達したところで、さらにその先が見えてくるので、このような人達には極がないのかもしれません。

一方、おみくじの大吉は人間が既に良の限界地点として作ってしまったものなので、目指すは次の吉。
結果はさてさて、先程の後ろの方と隣で同時に引いたところ、共に36番で吉!
年明け早々願い事がかなって幸先良さそうです(*^-^*)

2017

12月31日「今年もありがとうございました。」

2017年も慌ただしく終わろうとしています。
振り返れば計画通りにいかないことが多い一年でした。それによって苦労することもありましたが、結果的には意外と良い方向に向かうこともありました。予想どおりにならないから面白いと感じさせてくれる一年でした。来年は予想できないどんなことが起きるのか、怖くもあり楽しみでもあります。

とにもかくにも、来年が皆さんにとって幸せな一年でありますように!

9月5日「余裕」

先日近くの山に登ってきました。途中は尾根づたいでになだらかな道でしたが、頂上付近になったところに壁のような急な階段が立ちはだかり、足が止まってしまいました。階段の途中後ろを振り返ると落ちそうなほどの急な勾配で、振り帰ったことを後悔しながら恐る恐る登りました。

頂上に着いたところで、そういえば写真を撮る余裕もなかったと、登ってきた階段をパチリ。下から撮った方が傾斜の具合が分かり易かったかもしれませんが、帰りも下ることが精いっぱいで余裕がありませんでした。次回は、下からでも写真が撮れるくらいに余裕をもって登りたいなと思います。

近頃、余裕をもつことの難しさを感じます。余裕のない状態が続くと、時間的には余裕が持てる状態になっても、気持ちの方の余裕の持ち方が分からなくなり、今度は、余裕を持つことを頑張ろうと、休日なのに、何かしなくてはと焦る気持ちになります。

余裕のない状態ーたるみのない張りつめた糸は、風が吹いても動くことなく、何も感じない状態となってしまう恐れがあります。生きる喜びを感じない程悲しく、虚しいことはないのではないか、忙しいという言葉がキャッチフレーズのような現代は、そうならないための生きる術が必要になってきているように思います。

糸は張りきった状態を続けると弱くなり、ちょっとした衝撃でも切れやすくなります。毎日の生活のなかで、少しだけ自分にご褒美を持つ時間も大切ですね。

 

6月28日「柔軟性」

梅雨らしいジメジメした日が続いています。だるくてやる気がしないという方も多いのではないでしょうか?
この時期を快適に過ごす方法というのもよく耳にしますが、結局のところ、からっとした快晴の時期と同じ気分で過ごすのは、難しいなと思います。我慢するのではなく、この時期らしさ、として体も気持ちも受け入れる柔軟性が必要かもしれません。

この柔軟性というのは、漢方による体質の変化の仕方とも関係しているように思います。例えば、潤滑剤の塗ったネジは適度に緩めやすく動きもなめらかですが、潤滑剤のぬっていないネジは、硬くて緩めにくく、緩んだあとも、金属同士がこすれ合って動きも滑らかではありません。

すり減ってしまった柔軟性は漢方によって少しずつ補うことができますが、適度なストレスによってもプラスへ向かわせることができます。しかし逆にストレスが過剰の場合はマイナスへと向かってしまい、一旦マイナスへ大きく振れてしまうと、ちょっとしたストレスでも過剰に感じやすくなってしまう可能性があります。また、近年の清潔すぎる、快適温すぎる環境等が適度なストレスを感じる機会を奪ってしまっているようにも思えてなりません。

苦労は買って出ろといいますが、柔軟性の貯金が減りやすい今日この頃、貯金があるうちに、適度に買っておきたいものです。

 

 


 

5月1日「日本らしさ」

今日から5月、庭も緑や花でぎやかになってきました。ライラックやモッコウバラなど華やかな花が目立つなか、下の方に目を凝らしてみると、小さな純白の花がひっそりと咲いています。その洗練された花と葉の美しさもさることながら、都忘れという、少し切ないような名前から、名付けた当時の人々の状況や風景を想像させてくれる、お気に入りの花です。決して派手ではなく、主張もしない、思いを受け入れてくれるような花で、日本的な美しさがあるような気がします。

年々薄くなっていくように感じる日本らしい生活ですが、近年、食生活において、病気の予防の面からも和食の良さが見直されつつあり、長い年月をかけて日本人の体に合うものとして残ってきたものであることが分かります。

ものすごい勢いで入ってくる他国の文化や新しく独自につくられる文化を日本人は見事に吸収しています。ただ、精神面での進化は早くとも、肉体の進化は追いついていないように思います。人は精神と肉体とのギャップに戸惑いはないのだろうかと、都忘れが問いかけているように感じました。

3月3日「芽吹き」

今日はひな祭り、まだまだ寒いですが、日差しは春を感じさせてくれます。庭ではユリと、スノーベリーと思われる芽が、冬の間蓄えたエネルギーを存分に使って場所の取り合いをしています。

私たちも、外で思い切り春の訪れを楽しみたいものです。しかし春は花粉症などアレルギー症状や、冬には出ていなかった症状が出やすい季節で、春を十分に楽しめない方も多いと思います。

植物のように、冬の間は奥に潜んでいたものが、春になると表にでてくるためと考えられます。折角出てきたものは無理に押し込めようとせず、この際体の外に追いやりたいものです。

1月9日「前に向かって」

新たな年がスタートしました。今年はどんな年かと、初詣でおみくじを引くと、末吉・・。
末は初めてのことで、何だか先が不安です。世界も今年はアメリカ、ヨーロッパと大きな変化が予想されて、不安が渦巻いています。

しかし、不安な気持ちばかりだとどんどんマイナスの方向に進んでしまい、何も生み出せません。今を生き抜くには、不安を打ち消すだけの、強い精神力と体力をもって前へ進まなければなりません。漢方がその助けになればと思っています。

おみくじの内容の決め事の箇所で、”相談はしても決断するのは自分” ということが書いてありました。揺れ動く今の世の中、何が正解かは誰にもわからないと思います。

頼れるのは最後は自分、2017年、自分を信じて、力強く前へ進んでいきたいと思います。
今年もよろしくお願いします。

2016

12月31日「今年もありがとうございました。」


今年もあと一日。気がつけば開局から早4年半ちかく経とうとしています。

漢方は、効果のでるスピードも、一人一人違い、先がなかなか見えないこともあります。開局当時からずっと続けて下さっている方々もいらっしゃいますが、長い過程のなかで、良くなったと思ったら、悪くなったりを繰り返すことも多くありました。しかし、その中でも少しずつ上向きになっていることを感じていただき、ようやくトンネルの先の光が見えてきたとき、安堵と共に、希望を捨てず信頼して飲み続けて下さった方たちへの感謝の気持ちは言葉では言い尽くせません。

そのような方たちのなかには、肌の状態があまりにひどく、美容院からも断られ、仕事にも行けず、命を絶つことを考えていた、と後に話される方もいらっしゃいます。肌というと、即生命に関わるものではないと考えてしまいますが、将来の生きる希望をもてないということは、それがその方にとっていかに重い問題であるかを改めて考えさせられました。
また場合によっては、周囲の方にその重さを理解してもらえないこともあり、それに悩んでいる方もいらっしゃいます。

長年飲み続けることは、並大抵の気持ちでできるものではなく、あの時の辛さをもう味わいたくない、ここから抜け出したい、という強い気持ちがあるからこそだと思います。

その気持ちを受け止め、将来への希望がもてるような、社会への復帰が後押しできるような、そんな場所であり続けたいと思っています。

12月23日「東京」

先月、展示会の出展のため東京に行ってきました。
出展の準備が終わり、会場から出てふと振りかえると、動く光の立体動画がわっと目に飛び込んできました。久方ぶりの東京でしたが、規模の大きさに圧倒されます。

電車は働く人であふれ、夜も遅いというのにビルのほとんどに電気がついていて、改めて働く人の多い町と感じます

コンビニでお茶を買おうとすると、岐阜の方よりノンカフェインのお茶の種類が多いように思いました。

都会の光、働く人たちのパワーを受けて、起きるための電気刺激の受け皿は飽和状態。カフェインの入る隙は中々ないようですね。

11月11日「まわり道」

秋の長雨がやっと終わったと思ったら急に寒くなり、気が付けばもう11月半ばに近づいていました。山の木々も色づき散歩にもいい季節なので、ちょっとまわり道ですが、山の道を通って通勤することにしました。朝は時間に追われて慌ただしい時ですが、一歩山の中に入れば山の香りや落ち葉の上を歩く音、木漏れ日の暖かさ、風でこすれ合う葉っぱの音に包まれて、慌ただしさから一気に解放されます。そして山を下りる頃には体もポカポカして、すがすがしい朝のスタートを切ることができました。何だか気持ちにも余裕が生まれたような気がします。7分程度のまわり道ではありますが、その効果は時間に代えがたいものをもたらしてくれることを感じます

近年は通信システムの開発も進み、効率が重視されるようになりましたが、効率ばかりを意識するあまり、後々大きな実になるものを捨ててしまうこともあるかもしれません。着実に少しずつ踏み固めていくことが、強い地盤を作る上では大切と思います。王道ではありますが、まさに、「急がばまわれ」ですね。

 

8月15日「耐えるには」

今朝テレビをつけると、卓球の石川選手が再び試合をしていました。前回個人戦では初回敗退となってしまったので、今度は何とか勝ってほしいと応援していましたが、第1ゲームと第2ゲームを続けて取られてしまい厳しいのではと思われました。しかし、その後3ゲーム連取して勝利!最後まであきらめない精神力と集中力には目を見張るものがあります。前回の悔しさを超えて一層強くなっているようにみえます。

近年はストレスが多く、精神的な病気が増えていますが、ストレスから逃げることは中々できません。石川選手のように辛い経験を重ね、耐えることで、今を生き抜く力を身につけたいものです。しかし、プレッシャーに耐えるまでに病気になってしまうならどうしたらいいのか、となります。

漢方では体と心は一体のものと考えるように、石川選手と私たちの違いの一つに体力的なものが考えられます。耐える心を身につけるには、耐えるための体力が必要なようです。

 

8月8日「勝負と健康」
先週、ピアノのコンクールの中部地区本選に参加しました。全国大会を目指していたのですが、悔しい結果となってしまいました。全国への切符は一人で、今回奨励賞なので点数からするとおそらく2番が3番だったとは思うのですが、次こそ一番を、と思っても、また来年の目標となると、少し遠くて気が抜けてしまいます。

今朝テレビをつけてみるとオリンピックで卓球の石川選手が試合をしていました。最初は何の気なしに見ていたのですが、見ているうちに気迫と緊張感が伝わってきて、手に汗握り見入ってしまいました。ものすごいスピードのボールも次々と打ち返し合い、いったいどんなボールなら取れないボールになるのかと思っていたのですが、意外と小さなミスが得点源になっていて、ちょっとした隙が怖いと感じました。そして結果はまさかの初戦敗退。4年もの歳月オリンピックに向けてきたものが、一瞬のうちに終わってしまう、その悔しさはいかほどのものかと、自分とは比べものにならない勝負の世界の厳しさを感じました。

体にとって勝負とはどんな影響を与えるのでしょう?ひどい緊張の後は終わっても緊張は中々抜けず、食欲もなく、寝つきも悪くなり・・とあまりいいことはないように感じます。

以前ヨーロッパの動物園では餌を目の前に置くのではなく、色々な所に隠したり、とりにくい入れ物に入れて、動物に苦労して餌をとらせるようにしたことで、動物のストレスが減り、行動のし方も変わってきたという報道がありました。サバイバル精神は人間にも備わっていて、そこで勝ち抜いたときの達成感は生きる喜びへとつながっていると思います。

競争は
精神的な健康のためには必要なものですが、体の健康を害しない程度にしたいものです。適度とは本当に難しいですね。

 

5月5日「大人のセンサー」

今日は連休最終日、気持ちのいい五月晴れのなか、庭のサクランボも光をもらってぴかぴかの赤色になってきました。

こんなお天気ですと、ピアノもからっと爽やかな音がします。一方、天気や季節には関係なく神棚の左右の榊(さかき)は毎回右が先に枯れてしまいます。日当たりも水の減り具合も左右でそう変わりないのですが、たった50センチほどしか離れていない環境の違いで差がでてしまうのは不思議です。

ちょっとしたことが、物や植物に影響を与えるようですね。

先日長野に旅行してきたのですが、旅行先で知り合った方は。長野にきたらひどいつわりが落ち着いてきたそうです。お腹の赤ちゃんも、ちょっとした環境の変化を敏感に感じ取る力があるようです。

では大人はどうなのでしょうか?大人はストレスを感じてはいても、休んだりやめたりすることができないことがしばしばです。日々の忙しさで紛らわされたり、我慢したりしているうちにそのセンサーに蓋をしてしまうようになり、センサーが反応せず、いつまでたってもその生活を変えなければ、体の方がその生活にストップをかけようとします。できればその前にセンサーを反応させ生活を変えたいものです。

お腹の赤ちゃんは直接的に環境の変化を感じ取るというよりは、お母さんが変化を感じることによって間接的に感じていると思われます。だとすれば、大人になっても変化を感じ取る能力は変わっていないはずです。それを隠さずに、日々の暮らしでちょっとした軌道修正を繰り返すことで、大きな軌道修正の手間が省けるかもしれません。

2月28日「変化と繰り返されるもの」

気が付くと2月も終わりになっていました。畑では名前の分からない黄色い花が一輪、まぶしく咲いています。

そういえば一昨年のこの時期に福寿草をのせましたが、早春は黄色の花が多いように思います。太陽の暖かさを光の反射で際立たせて、春を教えてくれているようです。

同じ季節の時のことを振り返っておりますと、日々変化する生活の中でも季節は繰り返されていることを実感します。昨日のテレビでアタリさんという方が、現在の世界情勢はローマ時代に近いことを話されていましたが、時代は変わっても大きな波のように繰り返されるものがあると思います。漢方も数千年も前からの臨床経験によって築かれ、衰退と発展を繰り返しながら時代が変わり、必要とされる場面が変化しても今に生かされています。

近所のお店が数年前とすっかり様変わりするほど変化が目まぐるしい今日この頃ですが、変化の中にも一定のリズムをもつものをとらえるとで、安心が得られるかもしれません。日々の暮らしに焦りや不安を感じた時は、目を閉じて呼吸を意識してみては如何でしょうか?

2015

12月31日「気候変動」

早いもので、今年ももうすぐ終わろうとしています。前回の秋の時期にも書きましたが、この時期にしては暖かいように感じます。漢方に携わる中でも、今年はこの気候の変化をよく感じる年だったように思います。漢方の考え方からすれば、四季の気候の変化に合わせて人の体も変化し、その気候に適応することで健康な状態を保つことができますが、それに対応できなければ不調を感じます。同じ時期に同じ不調を訴える方が多いのもこのためと考えられますが、今年は春に多いような不調が春に少なく秋に多かったりと、これまでとは時期がずれて、しかも長期にわたって同じ不調を訴える方が多かったように思います。温暖化による影響は、目で見えるものだけではなさそうです。四季の変化に対応するだけでも大変なことですが、これからの予想できない気候変動に体がついていくには余程の適応能力が必要となってくるでしょう。

昨日のニュースでは、温暖化が進んだ場合は現在とは異なる農作物がその土地の栽培に適してくることから、その作物を試験栽培する農家に助成金がでるようなことを報道していました。温暖化が食い止められないこと前提の話であることに歯がゆさも感じますが、どんな環境でも生き残ろうとする人間のしたたかな力強さも感じます。漢方も、目の前の症状を改善する目的だけでなく、将来のためのものでありますが、数千年も前から存在する東洋医学は、どの時代の風にも耐えられる強い根と、柳のような柔軟性を作り出してくれます。これからの時代、更に必要とされるものかもしれません。

しかし、人間も他との共生なくして生きてはいけず、漢方もその恩恵を受けています。温暖化の問題に対して直接関わることはできませんが、そのことだけは忘れずに、来年は良い年になることを願って今年の締めくくりとさせて頂きます。今年もありがとうございました。

 

11月6日「土の力」

今年の秋は暖かくて日中は暑いくらいですね。本格的な寒さはまだ先のようです。寒さが苦手なショウガもまだ畑にいても平気そうだったのですが、出来栄えが気になり早々に畑とお別れさせてしまいました。

掘ってみると・・・出てくる出てくる!
想像以上の出来で嬉しくなります(*^-^*)
たった一つのショウガから、半年足らずでここまで沢山になるとは、生命の神秘を感じます。そして、これを育ててくれた土の力がいかに大きなものかを教えてくれているようです。

畑仕事をしているお年寄りは元気なイメージがあるのですが、これはひとえに体を動かすことによるものだけでなく、畑にいることで足元から土の元気をもらっているからなのかもしれません。

漢方では五行という言葉がありますが、そこでは生命の循環や相互作用を大切にしています。人は人と関わらないと生きられないといわれることがありますが、それは同じ生命をもつ自然界との関係においてもいえることかもしれません。

寒さが苦手なショウガから、感謝の気持ちをもって、冬を越す力をもらいたいと思います。
 

9月11日「色々な色」

久しぶりの爽やかな快晴で嬉しくなります。沢山のトンボたちが飛び交い秋を感じさせてくれる中、姪っ子の幼稚園からのお土産もまた、秋の色を運んできてくれました。(写真右) ゴボウの根っこなどを使って染めたらしいのですが、単にピンクと黄色という言葉では表せない、深みのある色合いです。

また先日道端で玉虫らしきものを見つけ、輝きのある美しさに見とれてしまいました。(写真左)

自然の色は、色の配分など細かく計算して作られているわけではないのに、なぜこんなに美しいのだろうと不思議になります。以前色のことを勉強した時、自然の色の中には分析しきれないほどの様々な成分が含まれていることを知りました。そして、それらを一つ一つの成分に分けていくと、何だか味気ない色になってしまったり、安定さを失い違うものへと変わってしまうこともあります。自然の色は、その中の何が美しいか、ではなくその中のすべてのものが一緒であること、色々なものが混じり合いそれらが安定して共存する配合バランスであることで、人の視覚にも訴えかける美しさを作りだしているのだと思います。

漢方薬も、様々な植物等の集まりですので沢山の成分が含まれていますが、その中の一つの成分だけ取り出した場合、体の特定の部分に強く働きかける西洋薬的な働きになります。一方、すべての成分を一緒に取り込めば、バランスよく体全体に働きかけ、それぞれの効果が弱いところは補い合うと共に、強すぎるときは抑えてくれます。様々なものが一緒に含まれることに意味があり、そこに漢方薬の良さの一つがあるのだと思います。

 

 

8月31日「野生の力」

連日の雨の中、8月も終わろうとしています。少し前までの暑くて仕方がなかった時期が懐かしくも感じる、静かな夏の終わりです。

こんな時期ですが、2か月ほど前に鉢から庭の土に植え替えした木が沢山の花を咲かせてくれて、ちょっと気分を明るくしてくれました。これは10年以上前に鉢植えしたものだったのですが、花が咲いたのは1度きり、元気がなく、もう育たないかなあ、と思いながらも試しに植え替えてみたのですが、植え替えしてしばらくして、ツルがどんどん伸び始め、支え棒も一本では足りずに、二本、三本と追加すると、待ってましたとばかりに新たな棒へも次々とツルを巻きだし、遂には10年ぶりの花を咲かせてくれました。こんなに元気になるならもっと早く植え替えしていれば・・と鉢と庭土の違いの大きさを感じさせられました。のびのびと育つ環境さえ整えば、本来の秘めていた生命力が目を覚まし、すごい力を発揮するものなのですね。

まさに、漢方がしていることもこのことだと思います。漢方薬は薬ではありますが、体に手取り足取りお世話してくれるのではなく、その人がもつ生命力を目覚めさせ、十分に発揮されるよう応援し、自らの力で強く生きることを促すものです。従って依存性がありません。

化学肥料のみで生きる草木は大きくはなりますが、それに頼ってしまうことで生命力は眠り、化学肥料をやめれば弱ってしまいます。一方、野生の中で自らの力で生きている草木は、生命力がみなぎり、環境の変化にも耐える力があります。

野生の力を信じて、日々力を尽くしたいと思います。

花火と犬山城(左下)

8月14日「夏の音」

先日、近くの花火大会に行ってきました。犬山城を背景にした花火が本当にきれいでした。

花火は見た目もさることながら、ドーンという低くて大きな音が暑さで疲れた気分を吹き飛ばしてくれます。夏の風物詩といえば風鈴もありますが、花火の音とは正反対の高くて優しい音で、涼しさをじさせてくれます。では高い音、低い音、どちらが暑さに効果的なんでしょうか?

夏の音といえば、もう一つ、セミの音がありますが、これは暑さを存分に感じさせてくれる音で、高い音も低い音も交じったような音ですが、人間は交じった音ばかり聞いていると、どちらが一方だけの音を求めるのかもしれません。そこで、日ごろは高音の風鈴の音を聴いていますが、高音ばかりを聴いていると今度は低い音が聴きたくなって花火を見に行く・・といった流れでしょうか?
結局音も体と同じで、偏りなく聴くことが理想なのかもしれませんね。

7月21日「働かざる者食うべからず」
梅雨も明けて、裏庭の畑で野菜を収穫していても汗びっしょりの暑さですが、つやつやした野菜たちを見ていますと暑さも苦にならないものです。夏野菜といえば体を冷やすものが多いですが、汗をかいた後のとれたてトマトは何よりも美味しく感じます。

「働かざる者食うべからず」という言葉は、これまで働かない人への報酬はないというマイナスの意味にとらえていましたが、働く、という言葉を肉体労働という意味でとらえて、昔はほとんど旬のものしか食べてられなかったとすれば、「汗を流して働かない人は体が暑くなっていないから夏のものも体に合わない、だから食べない方がいいよ」とその人の体を考えた助言にも受け取れます。夏には汗を沢山かくことも、季節を味わう秘訣かもしれませんね。

5月31日「将来への投資」

急に暑くなってちょっと疲れ気味の方もおられると思いますが、反して虫たちの行動はどんどん活発になり、人間を困らさせることも多くなってきました。虫退治のための商品は次から次へと新しいものが登場し、研究が盛んにおこなわれていることでしょう。一方、将来芽が出る可能性を秘めている基礎研究の方はあまり盛んではないようです。
5月25日の日経新聞の「池上彰の大岡山通信」というコーナーには、最近の大学は、世の中ですぐに役に立つ教育や研究に重点が置かれつつあることが書かれていました。すぐにお金になる研究でないと資金がもらえないといったことが背景にあるようですが、大学がビジネスに走りつつあるのは悲しいことです。

今必要なものが何かというのは分かりやすいものです。そしてそのための研究には成果にスピードが求められます。
一方、将来何が必要とされるかは、激しい時代の変化の中でなかなか読めるものではありません。今どう役に立つか分からない研究にその可能性が隠れていると思います。ただ、今必要なものに対する研究よりも的が絞りにくいため、よりたくさんの実験、結果をだしていくことが必要で、とても時間が掛かかります。しかし、こうやってこつこつと積み上げていったものは将来、並んで速さを競い合ってきた研究とは違った、幅広い応用のきく、揺るぎないものを生み出すかもしれません。

漢方薬はもちろん今の症状をとるために飲まれることが多いですが、即効性がない場合があったり、目的とは違った所に変化が現れることもあったり(体全体に作用するため)と、「~にはこの薬!、早く効く!」のような歌い文句は言えません。

しかし、将来の自分にとって、今即効の結果をだすことが必ずしもいいことと言えるでしょうか?今が良ければいいとして安さと即効性だけを求めても、将来病気になれば入院、介護費用だけでなく、自由な生活が送れない心の苦しみが伴います。

漢方が目指すものの一つは、柔軟性があり、様々な生活の変化に耐えられる、病気になりにくい体作りです。漢方は一見高そうです。しかし、今だけでなく、将来への投資です。

 

2月22日「心のバランス体のバランス」
先週名古屋でピアノのジョイントコンサートに出演し、ちょっと一息ついていますといつの間にか花粉症の季節になっていました。

コンクールでは緊張ばかりで中々楽しんで弾けず発表会となると逆に緊張感が欠けてしまうので、緊張感をもちながら楽しんで演奏する経験をしてほしい、という先生のご配慮で出演させて頂いた今回のコンサートですが、演奏直前となると緊張をとろうという意識ばかりが強くなってしまいました。しかし演奏中はその意識も少し和らいで、楽しみと緊張が半々に近づいた演奏になったかなと、晴々した気持ちで演奏を終わらせることが出来ました。

良い演奏というのは緊張と喜びの感覚が絶妙のバランスで混じり合ったときに生まれると思いますが、それには聴衆の方々が作り出す雰囲気も重要ですし、本当に難しいものだと思います。

体のよい状態というのも東洋医学からいえば演奏と同じように、体全体そして各部分における陰陽のどちらか強すぎても弱すぎてもいけない微妙なもので、しかもそれは生活習慣、人間関係など常に変化する環境に左右されており、良い状態でいることの方が奇跡に近いのかもしれません。

実際私のこれまでお会いしてきた方で、東洋医学的に完全にバランスがいい状態の方というのは中々おみえになりません。

私たちの体はバランスを保つために日々絶え間ない努力をしていることを忘れずに、毎日の生活も価値あるものにしていきたいと思います。

 

2014

12月31日「今年もどうもありがとうございました。」

今年も今日を残すのみとなりました。今年一年も、漢方を通して様々な人たちとふれあうことが出来ました。悩んでいた症状がなくなったり、改善してきたというご報告や、以前より元気になったと喜んでくださる方たちの声は、私が仕事をする中で何よりの喜びや、やりがいへとつながっています。まだ満足に症状が取れない方もみえますが、良くなりたいという強い思いで望まれていることにこちらも応えて一緒に頑張っていきたいと思います。

以前読んだ「読書について」という本には、読書は他人の思索をたどるものであり、自分の思考過程とは異なるため、ヒントにはなっても、それがそのまま自分の頭の中に組み込まれることは難しく、自分が実際に体験して自分の頭で考えたものこそが真の肥やしとなる、といったことが書かれていました。私にとって薬局に通って下さる方たちとのふれあいが、何にも代えがたい経験となり、それを生かすことが私の務めと思っております。日々感謝の心を忘れず来年は更に良い年にしたいと思います。

12月6日「鼻のお仕事」
今日は初雪が降り、本当に寒い日でした。鼻をすすりながら鍋をつつく機会も増えそうですね。外にいる時、風邪を引いた時と、この時期鼻すすりには中々休む暇がなさそうです。鼻は呼吸における外気が体内に最初に通る場所であり、そこから肺へと進むことから、外気に対する門番のようなものと思いますが、その対応の速さから、そこでの防衛が如何に大切なことかと感じます。

漢方の五行では鼻は肺の竅と言われており、鼻の防御機能が健全に行われるためには肺が元気でいることも大切です。運動すると風邪を引きにくくなったと聞くことがありますが、運動によって肺が鍛えられたのかもしれません。ただ、鼻のお仕事が多すぎて働き過ぎても今度は肺が疲れてしまいます。寒い季節、マスクで鼻の仕事を手助けしてあげるのもいいですし、程ほどの運動もいいかもしれませんね。

9月20日「本能に従えば・・・」
朝晩は涼しくなり、秋らしい日が続いています。秋といえば食欲の秋で、ダイエットが一番難しい季節かもしれませんね。こんな季節に「食べない人たち」という本の題名が新聞広告で目につき、信じられない思いで購入してみました。しかし本を読んでみますと、食べなくても生きていていけることが異常のことではないように感じてきました。

近年私たちの多くは、医学的な裏付けに基づいた食生活を意識するようになり、必要量や必要な食べ物も、それを根拠に摂取することが増えてきました。テレビなどで食物が紹介される場合にも、「~の効能があるのでお勧め」という文句が多いように思います。しかし、このように食べる量や食べる物を頭で考えるようになった分、感覚的なもの、つまり本能はないがしろにされてきたように思います。私は日頃から患者さんに、決められた食事の時間やこれだけ食べなくてはという意識によって無理に食べる必要はなく、本当に食べたいと思う時に食べたい物を食べてくださいとお話しています。こういいますと、体にいいとされる食生活から外れてしまうのではないかと思われるかもしれません。しかし、何がいいかは本人の本能が一番良く知っています。漢方を飲み始めますと、飲めたお酒が飲めなくなったり、冷たいものを受け付けなくなることが良くありますが、これは漢方がその人の本能を目覚めさせ、その人にとって本当にいいものが選択できるようになったからではないかと思います。つまり、本にも書いてありましたが、頭で考えるのではなく、体に問いかける習慣をつけることで、自然と体にいい方向へ向かうと思います。食べない人たちはこのようにして食べずに生きるという結果になったのであって決して無理はしていないそうです。

食べずに生きることは科学的には不可能かもしれませんが、漢方の理論からすれば非常に合理的な生き方だと思います。漢方では食物を摂取すると、気の作用によって精気に変えられ、それが血や体液等に変えられるとされていますが、この本の人たちのように直接気を体に取り込めば、食物を精気に変えるための気を消耗する必要がありません。超省エネの体ですね。人間は本能に従えばこんなに柔軟性を持てるのだから無理に型にはめてはいけない、漢方においても柔軟な対応が如何に大切かを教えてくれる本でした。

8月27日「漢方の役割」
今年の夏は雨続きで家で過ごす時間が多いように感じます。家にいますとパソコンを開けて、ついでにインターネットというのが習慣になり、もともとパソコンは好きでなかったのですが、これも時代の流れかなと思います。そんなとき、『ネット・バカ』(著ニコラス・G・カー)という本の題名が目について読んでいますと、「ネットという大量の記憶媒体があることで、脳は記憶する行為を怠っているが、人間の脳内で長期記憶が作られるプロセスはコンピュータ-のような人工脳とは全く異なる。人工脳が情報を吸収した場合、ただちにメモリーに保存されて変化しないのに対し、人間の脳での記憶は、常に更新されており、それにより古い記憶が現在の脳で意味をもつ。記憶を思い出すときの脳は記憶した時の脳ではない。」という内容に、漢方の人体に対する考え方に近いものを感じました。よく耳にする陰陽五行は漢方の考え方の基となるものですが、ここには、生命が生命であるためには自身の内部同士、そして外部と常に相互作用し続けなければならないので、一見すると少し前の自分と同じようであっても同じではない、という意味が含まれていると思います。変化をしない機械での記憶と、変化し続ける脳での記憶の違いと同じように、漢方の考え方は、生命と生命でないものの違いを説明しているように感じます。

また本には「脳はコンピューターと同じく形式的な数学的ルールによって作動していると見なされているが、これは理解できる事柄を使って理解できない現象を説明しようとするもである。」という内容がありましたが、漢方が体のしくみを説明する際、自然体系を基にしているのはまさにこのためではないかと思います。つまり、体のしくみは複雑で相互関係も入り組んでいるため、人間のつくりだしたどのような機械であっても完全に把握することは難しく、計り知れないものがあります。そのため”目には目を”で、同じく複雑な生命を物差しに推し量ろうとしているのが漢方だと思います。漢方はあいまいな学問であるとよく言われます。確かに体の細部を目で見たり、機械で数値化したりということがないため、客観的に把握できるものではないからです。しかし、すべてが視覚的に数値的に捉えられるほど人体は単純なものとは思いません。動物によって景色の見え方は違うと聞いたことがありますが、人間が把握しきれる範囲で作った機械や科学技術からの人体への視点と、計り知れない命あるものからの視点とは異なるものだと思います。

この本を読んでいますと、人間が機械に頼れば頼るほど人間の脳がもつ無限の可能性や深みが機械のしくみに置き換えられていく怖さを感じます。人の心や行動は楽な方へと移りやすいものです。ますます機械化が進む今こそ、それに逆行する考え方をもつ漢方は、いい面で歯止めをかける役割も担っているのかもしれません。

 

7月3日「山桃が実りました。」
先日わが家で赤くなった山桃の実を見つけました。植え付け8年目にして初めての収穫!たった数個の収穫でしたが嬉しいものですね。山桃というのは和名で、漢名では楊梅と呼ばれています。桃梅どちらに属するの?と思うのですが、桃梅共にバラ科、山桃はヤマモモ科だそうですので、そのどちらでもないようです。ちょっと紛らわしい名前ですね。本草綱目(1500年代に書かれた中国の薬学書)にはその薬効ついての記載がありますが、果実部分は去痰、消化促進、整腸作用、止瀉作用や、頭痛止め、傷の修復を助ける作用などがあるとされ、種は脚気樹皮や根はデキモノなどに用いるとされています。脚気は食糧事情が良くなった今の日本でわざわざ種を治療にまで使うことはないと思いますし、時代の変化を感じます。その時代に必要な薬効は発見されやすいのであれば、脚気以外の新たな薬効が発見されるかもしれません。


山桃は温暖な地域で育つ植物だそうで、高知県などで多くみられるそうですが、そうしますと私の暮らす地域もこの”温暖な地域”に当てはまるということでしょうか?この薬学書には生息地域についての記載もあり、そこには「楊梅が多く育つところにはマラリアなどの伝染病が多い」とあります。ふと、昔呼んだ司馬遼太郎の「竜馬が行く」に、竜馬がマラリアに苦しんでいるシーンがあったことを思い出し、これもまんざらではないなあと思うのですが、マラリアの発生する地域というのは熱帯や亜熱帯地域のイメージがあります。8年目にして初の収穫は、わが地域の温暖化亜熱帯化を意味するものかもしれないと思うと、手放しに喜んでいいものなのか、分からないところです・・。

 

6月9日「梅雨バテを防ごう!」
じめじめとした不快な季節がやってまいりました。湿気は、身の回りの物だけでなく人間の体内にも影響を及ぼします。洗濯物が乾かないと同様、湿気が多いと汗をかきにくく、体内が水気の多い状態になるからです。漢方では、体の水分が過剰になると、消化や汗などの水の巡りを司る器官の働きがにぶると考えられていますので、結果として益々汗をかきにくい状態になり、体内の水気が増える悪循環に陥ります。湿気が原因なら予防しようがないのでは?と思われるかもしれませんが、”消化や水の巡りを司る器官”は西洋医学の消化器系に近いので、消化器系の動きをにぶらせる冷えた飲み物や冷やして食べるもの(刺身、冷えた豆腐等)を避けるのが予防法の一つかと思います。体に良いとされる日本食も意外と含まれているので、時期によって食べ方に工夫が要りそうです。


汗をかきにくいと熱がこもるので暑く感じやすく、冷たいものが欲しくなる気持ちも分かりますが、冷蔵庫を開ける際は少し踏みとどまって、冷たいものを摂るとより汗をかきにくくなって体は逆に暑くなる、という一見矛盾したような体のしくみを思い出してもらえたらと思います。

 

5月20日「香り」
庭でレモンの花が咲き始めました。ほんのりと良い香りがします。香りを吸い込んだ途端にすうっとスッキリした気分になりますが、これは香りが鼻に達し、神経を伝って脳に刺激を与えるためと考えられます。一方、香り成分が腸などからから血管へと吸収されますと、別の効果も発揮されます。これを利用しているのが漢方薬です。ひとえに香りといいましても効能は様々ですが、、香り成分は放散しやすい性質があるとして、体内の余分なものを外へ追いやる効果を狙っているものが多くあります。漢方の骨格が出来上がったのは紀元前で、化学の未発達な時代によくその性質を捉えているものだと思います。「漢方を飲んだら気分が良くなるんだけど気のせい?」と聞かれることがありますが、確かに‶気"のせいでもあります。ふさぎ込んだ気分も、体内の余分なものとして香り成分が外に吹き飛ばしてくれるからです。

香り成分は腸からだけでなく、皮膚や肺からも血液中に吸収されます。花盛りの良い季節、お花畑の真ん中で脳も体もスッキリさせられるといいですね。


 

3月22日「福寿草」
先日木曽川河川敷の公園で福寿草が咲いていました。透き通るような黄色の花びらを見ていますと気分も晴れやかになります。民間薬は、昔の人々が身近にあるもので試しを繰り返すことで伝えられてきたもの。福寿草は春を告げる花として親しまれてきた花だけに、そちらの方も当然調査済みであろうと調べてみますと、あらあら、死に至るまでの毒をもっているとのこと。この美しい花に惑わされてこれまでどれだけの人が被害にあったのだろうと思いますと、伝承の重みを感じます。
しかし、目の保養にはなりました。

2月4日「今日は立春」
みぞれ混じりの冷たい雨が降り始めました。昨日の暖かい春の陽気とは打って変わって冬の寒さに逆戻りです。冬の辛い寒さからポカポカした春になる時期ほどに四季の移ろいを大きく感じる時期はないように思いますが、自然もこの大きな変化を遂げるのはそうたやすいことではないようですね。

季節の変わり目に体調を崩される方は多いと思いますが、中でもこの冬から春への大きな変わり目に崩される方は多いように思います。ただ予防が難しいのもこの季節です。春から夏は暑くなるので暑さ対策、夏から秋、冬に向けては寒さ対策と分かりやすいのですが、冬から春へは暖かく快適な気温になるのに何をすればいいのか、となるわけです。

2月1日の日経新聞の菜の花料理紹介の一節に、「春の皿には苦味を盛れ」という言葉を目にしました。苦味は漢方では、熱や毒素を排除してくれる役割があるとされています。冬の間、体は熱を逃がさないよう栄養素から毒素まで体にため込みやすい状態になっているため、冬から春への変わり目に苦味をとることで、冬の貯蓄型から春の消費型へと体の変化を促してくれます。季節の食べ物を摂って季節に合わせた生活をしましょう、と言いたいところですが、4月からは増税です。お財布の方は3月までは消費型、4月からは貯蓄型が予想されます。季節に合わせた生活は難しいものです。
 

2013

12月26日「飲みすぎにご注意」
忘年会、お正月と、普段よりお酒の量も増えてくる時期と思います。漢方とお酒との関係をみていきますと、例えば『傷寒論』という有名な古典のなかに登場する“炙甘草湯”という薬は、薬を煎じる際に水だけでなくお酒を使用しており、弱った心を温めて血の巡りを良くする目的でお酒を利用しています。お酒は百薬の長といいますが、お酒は昔から薬として重宝されていたことが分かります。

一方、同じく傷寒論の中に『若し酒客病めば桂枝湯を与うべからず。』という文がありますが、これは一つの考え方として、お酒をよく飲む人は体が熱性の状態になっており、ここに同じく熱性の桂枝湯を服用すると火に油を注ぐ状態になってしまうので与えない方がよい、と捉えることができます。

漢方では陰と陽のバランスを大切にしますが、お酒は陽の作用があるので、陽が足りない人には薬となりますが、飲みすぎれば陽に偏ってバランスの良くない体になります。自分はお酒に強いからと思っていても、体のバランスは知らず知らずのうちに乱れていくものです。来年が健康に過ごせますよう、適度な飲酒で年を越せるといいですね。

11月6日「体の記憶」
先日の日経新聞で、糖尿病の発症初期に血糖値の積極管理を行っておけば、積極管理を行っていないグループより10年後の心筋梗塞の発症率が低いという記事が目に入りました。確かに高血糖の状態は血管を傷つけますし、差が出るのも無理はないとも思います。ただ、積極的管理は初期の段階だけのことですので、その時期だけの血管障害状況が10年後の差につながるとは考えにくく、初期の治療が継続して体に影響を与えている、初期の治療状態を体が記憶している、と考える方が自然かと思います。

“体の記憶”が漢方薬においても適用されているとしたらどんなに素晴らしいことか!そう思うのは、漢方は予防を得意とする医学ですので、漢方で病気にならない状態を記憶してくれれば体は長く病気にならない状態を保てるのではないか、と思うからです。病気になってからの治療の記憶よりも、なる前の治療の記憶の方が、体には“いい記憶”なのではないでしょうか?そんなことで、病気初期の治療が体に記憶されているとしたら、病気前の治療も記憶されていてもおかしくはないかな?とつい期待してしまいます。

初期の体の記憶、というと子供のころに自転車や一輪車を乗りこなしていれば(長い期間乘っていなかったとしても)大人になっても乗れるという話がありますが、体の記憶は運動神経に関してだけではなさそうです。運動記憶と治療記憶、いったい何年先まで持つのでしょうか?長い追跡調査が要りそうですね。

10月3日「喉と漢方」
日中はまだまだ暑い日が続いておりますが、夜は大分涼しくなりました。昼と夜との温度差が激しく風邪を引きやすい時期で、喉の痛みに悩まされている方もみえるかと思います。喉は空気が体に入る入口ですので、その影響を受けるのも無理はありませんが、影響を受けやすい方、受けにくい方がみ
えるのは、漢方から見れば体の内部の状態が関与しています。喉が痛い時には赤くなったり腫れていたりと、大抵はそこに熱を持ちます。簡単に言えば喉に熱を持ちやすい人は喉が弱いといえますが、なぜ喉は熱に偏りやすいのでしょうか?

体内には組織や器官同士とをつないでいる連絡通路のような役割の、経絡というものがが全身に走っていますが、喉の辺りは肺、心、肝、大腸、腎といった多くの臓腑とつながっている何本もの経絡が存在する場所です。それらの臓腑のバランスが崩れたとき、臓腑は冷えや熱を過剰にもちますが、冷えを過剰に持った時は性質が反対の熱をそこから手放そうとします。そして熱は上にいく性質がありますので、経絡を通ってその熱が喉に達します。一方熱を過剰に持った場合は、その熱がそのまま経絡を通って喉に達します。つまり、喉の弱さは臓腑のバランスの崩れが影響していると考えられます。

喉が弱い方は、ちょっとした外気の刺激でも炎症を起こすきっかけになります。もちろんマスクで外からの影響をブロックすることも大事と思いますが、本格的な風邪シーズン到来前に、生活習慣の見直し、漢方等で体のバランスを整えておくこくことをお勧めします。

8月26日「心地よい漢方」
昨日から急に涼しくなり、秋がやってきたなあ、と嬉しくなると共に、夏が終わることを寂しくも感じます。早く暑い夏が終わらないかな、と思っていたことも忘れて勝手なものです。人は心地いい環境になると、辛かったことはすぐに忘れてしまうのかもしれません。漢方薬を飲んでもこれと似たようなことがよくあります。患者さんに、「~の症状はどうですか?」と伺うと、「そういえば最近ありません。」と症状があったことも忘れていたという答えが返ってくることがあります。また、「漢方を服用して心地よい」という感想もよく頂きます。漢方は、症状を無理になくすのではなく自然の状態に戻してくれるので、症状がとれたあとに心地よさが残るのではないかと思います。

8月20日「病気同士の関連性」
8月18日の日経新聞に、糖尿病の関連疾患として新たにうつ病が加わったとの記事が掲載されていました。これまでは、がん、脳卒中、急性心筋梗塞があげられていましたが、精神疾患を関連疾患とするのは初めてとのことです。確かにがんや脳卒中、心筋梗塞などは、生活習慣病という共通性が一部にあるので、関連疾患として納得しやすいですが、'うつ病は脳の病気’と端的に捉えれば、それらとはちょっと違う気がします。記事には、糖尿病からうつ病になる原因としては、糖尿病と診断されたことのショックや、インスリン治療や人口透析による精神的負担があげられ、逆にうつ病から糖尿病になる原因としては、身体活動の低下や不規則な食生活、薬による副作用も考えられる、と書かれていました。また、両者には共通してホルモンの異常が起こっているためとも推定されており、糖尿病とうつ病とはかなり密接な関わりがあることが分かってきたようです。

西洋医学では病気同士の関連性に対して最近になって研究・調査が盛んになってきましたが、漢方は体内のすべてのもの、そして自然界との関連性について追及することを根源としています。一見おまじないのような陰陽五行説も、どことも切り離すことのできない関わりあいを説明してくれているのです。病名は、体の不調においてある特定の状態がみられるときにつけられますが、その特定状態は、漢方の考え方からすれば他の所にも必ず影響を及ぼします。突き詰めていけば、結局はすべての病気が複雑に関連し合っているのではないかとも思うのですが、西洋学的にすべてを解明するにはあまりにも複雑でしょうか?

8月18日「マイナスが消える」
先日お盆休みを利用して飛騨の方まで出かけました。お盆は当然混んでいるので、どうせ人ごみに疲れて帰って、家でゆっくりしていた方が良かったという後悔が残ることを予想しながらも、そんな気持ちは、飛騨は涼しく森林浴で心和むであろう、という期待感で消え失せてしまいました。結果は案の定、前者の勝ちでした。

人は期待感のようなプラスのことがあると、都合よくマイナスを無いものにしようとする癖があるようです。それは気持ちと体の関係においてもみられます。どんなに体が疲れていても楽しいことがあれば疲れは感じません。プラス思考は人を高みへと登らせてくれるのですが・・マイナスはあとにならないと気付かないことが多々あります。前へどんどん進んでいる時も、時々後ろを振り向いて体をいたわってあげるといいかと思います。

7月21日「二種類の水」
暑い日が続き、汗についての悩みが多い時期です。汗をかきやすい、寝汗がでる、何もしていないのに急に汗が出てくる、首から上だけ汗が出る、汗がベタベタして気持ち悪い等様々な汗の悩みがあります。汗というと、皮膚から出るものなので、皮膚をどうにかしようと考えてしまうことも多いですが、体の中の問題であることが多く、ここは漢方の出番であります。発汗は一般には体温調節するための手段ですが、漢方では水分を排泄する一つの手段として重要視しています。汗は特に脾、肺、腎の臓※1が深く関与することで作られていますが、適度な汗が出るかどうかはこれらの臓が正常に働いているかに加えて陰陽のバランスが大切です。まず、臓が正常でなければ汗や尿として出るべき水分が排泄されずむくみの原因になり、その水は臓の働きを邪魔します。一方、陰陽のバランスについては、陰陽いずれに偏っていても悩みの汗の原因となり、過剰な汗は陰陽のバランスも乱します。更に、陰陽のバランスの乱れはすべてのものに関与し、臓のバランスも乱しますので両者は切り離すことのできない関係にあります。

過剰な汗とむくみは、しばしば同時にみられます。一見矛盾するようですが、臓と陰陽の失調が一緒にきたとすれば納得できます※2。すなわちむくみとなった水は汗や尿になれなった水であり、過剰な汗は汗となるべきではなかった水であると考えます。陰陽と臓は密接に関わっていますが、この二つの水は同じ水として関与しあうことができないのです。

暑い夏は始まったばかりです。二種類の水ができないよう、体に負担のかけない生活をしていきたいものです。

※1西洋医学の臓器とは違い、機能により五臓(心、肺、肝、脾、腎)に分類しています。臓器と言わず臓といいます。
※2汗とむくみの原因は他にも色々考えられます。これはその一例です。

5月27日「今を楽しむ」
忙しい現代生活で、ストレスがない生活を送ることなどはたして可能なのでしょうか?そんな疑問からふと手にとった『もう怒らない』(小池龍之介著)という本には、ストレスは「~したい」「~してほしい」といった欲望がすぐに叶えられない、十分に満たされないことから起こる、と書いてあります。では、ストレスをなくすためには欲望を消してしまえばいいということになりますが、それでは生きていても面白くない!と思ってしまいます。しかし後文の何かを後で楽しむためと思って今仕事をしているとしたら、それは今していることに集中していないから、という内容にはっとさせられました。

江戸時代の医者である香川修庵は、著書「一本堂薬選」の中で温泉による治療法を説いていますが、そこには「心静かに、気を和らげ、本当に子どもが水に遊ぶような純な気持ちになり・・・」(江戸時代の医学より)という一節があります。子供の頃、時を忘れて夢中になって遊んでいた時は何とも言えない充実感がありました。
あの頃は後先考えずにただ“今”を楽しんでいたのだと思います。欲望を捨てることは楽しみがなくなるのではなく、今を楽しむためのコツであり、それがストレスをためない、病気を予防する方法なのだと思いました。

とはいいましても一旦乱れた体調では、ストレスを感じずにはいられず、そのことに自責の念を抱くこともしばしばです。そんな時は無理せず漢方に頼ってみては如何でしょうか(^^)

4月15日「春の病気」
昼夜寒暖の差が激しい日が続いていましたが、ここ数日は一日中春の暖かさを感じることができ、やっと本格的な春が来たという感じです。春は花々が咲き出し、動物も冬眠から目を覚まして明るいイメージがありますが、精神病に悩まれる方が増える時期のように感じます。なぜなのでしょうか?

春は冬の寒さから解放され、体の緊張はほぐれてきます。それに伴い気持ちも緊張から解放へと向かおうとしますが、この際、気持ちを体の中から外の環境へと伸びやかに発散させてあげることが健康を維持する上で大切です。暑いときに汗をだすことでで体温を維持することと同じです。昔は自然とともに生活していましたので、この気分と周りの環境が調和しており、発散させやすい生活を送ることが出来たと思います。しかし、現代社会は解放感を味わえる余裕もなく、忙しい日々に追われる毎日です。新生活が始まってストレスを感じる方も多いと思います。これによって、解放されるべき気分が体の中で停滞し、病気になると考えます。

春眠暁を覚えずといいますが、これは自然なことで、気持ちがうまく解放されている証拠なのだと思います。健康維持のために、春の散策に出かけてみては如何でしょうか?

2月25日「脳の限界、言葉の限界」
脳の科学的な分析が進み、人間のすべての行動が脳の指令によるものと信じられています。
石田秀美著の「気のコスモロジー」では、その常識に疑問を投げかけ、東洋の思想にその答えのヒントを見出そうとしているのですが、この本から、漢方との考え方の共通点や課題も見えてきました。
著書では、脳にあたるであろう、ほんのわずかな神経節しかもたないミミズでさえ、非常に多くの状況に臨機応変に対応できることから、明らかに脳以外のところを使って最適な行動をとっているとしています。そして脳はある状況をつながった時間として捉えることが難しく、細切れの一瞬一瞬でつじつまを合わせながら解釈してしまう帰来があるため、常に変化しつながっている世界を的確に掴むことに限界があり、脳を使うことは最適な行動をとることの邪魔をしている可能性があることを示唆しています。

自然は科学ですべて理論的に解明できるかのように思われていますが、脳が上述のように状況を細切れの一瞬で捉えてしまうとすれば、脳の力で生み出された科学によって解釈された自然も、脳の捉えた自然であり、自然の一面に過ぎないのではないか、と思うのです。

科学とは別の道のりを辿ってきた漢方では、気という言葉が登場しますが、それは生命は常に動き、変化し続けているもの、という‘状態’を気という言葉を使って表現しようとしているからです。ですから漢方はいわば脳によって身体を解釈するのではなく、過去の状態から現在まで、そして今も動き続けている生命として、すべてを取り込んでいくのです。しかし、科学の中に埋もれた生活の中で、脳を使うことから離れることは可能なのか、そもそも身体について考えるという時点で、脳を使ってしまうため、脳を使わないことは不可能ではないか、とも思います。

何か技を身に付ける際、経験と勘が大事であることをよく聞きます。勘とは、一見すると、何か頼りない、不安定なもののようですが、これによって機械よりも正確な製品を作り出していることはよく聞く話です。脳に頼らず、かつ的確な行動をとる方法として、勘は素晴らしいものだと思います。経験がまだ少ない自分にとって、漢方の莫大な経験書籍は強い味方です。

しかし、経験書籍中のその言葉さえも正しく把握することに限界があることを、本から改めて感じさせられます。といいますのは、言葉は脳を介して生まれるものであり、生きている状態そのままを捉えることは脳では困難であるからです。そして著書では、言葉にできるのはこれまでの体験と類似した感覚を、同じ言葉で表現することでしかない、とあります。

漢方で診断材料として最も重要なものの一つが問診です。患者さんに、体の状態を言葉を通して伝えてもらいます。しかし言葉には、状態そのものを伝える力として限界があります。共通語であっても、一人一人でその言葉に対する感覚は違います。例えばだるい、という一言でも自分のこれまでだるかった感覚と重ね合わせてしまうと患者さんのだるさと一致しない可能性があります。そもそも一致させること自体不可能です。しかしここでふと、黄帝内経の脈診について書かれた内容を思い出しました。それは脈の状態を‘竹竿を撫でさすったように’とか‘鶏が一歩一歩ゆっくりと地を踏むように’というようにかなり具体的な例えで表現しているものです。これまでは、なぜここまで具体的な表現を使うのかと思っていましたが、今は、誰もが生の感覚で感じられるものでしか、正しく伝えることができないことを古代の人も十分認識しており、言葉の限界を感じながらもできるだけ正確に伝えたい、という強い意志を感じます。

患者さんがもつ感覚にいかにして近づけるか・・・。難しい課題です。

1月19日「幸せと不幸せ」
先日、ピアニストで思索家でもあるアファナシエフさんの特集番組を見ていました。その中で彼は、‘人生は幸せと不幸せが入り混じっているもの、そしてそれらは切り離せないもの’と言われていました。確かに幸せの基準はないですし、両者を体験してこそ幸せの基準を自分で決めることができる、不幸せがあってこその幸せなのだと思います。

中医学の考え方の中にも同じように切り離すことができない関係をもつものがあります。陰と陽です。人体の中には陰陽が存在し、それらは相反する性質をもち、対立・抑制し合う一方、互いに利用し合います。そしてこのような関係をもち続けるからこそ存在し、2つが離れて関係性がなくなれば生命活動は止まってしまいます。例えば栄養を吸収して蓄えることが陰とすると、蓄えたものを消費して動くことは陽となります。栄養を蓄えることができるからこそ肉体は存在して動くことができますし、内臓が動かなければ消化吸収できません。

陰陽は一つの物の2つの側面から発生し、無限に2つの側面に分けていくことができるとされています。人は肉体を陰、精神は陽という2側面に分けることもできそうです。
幸せと不幸せの思考法。人から始まって精神へと、無限の2側面に分けていけるかもしれません。

2012

12月6日「扁鵲」
中国の戦国時代に活躍した医者で扁鵲という人がいました。彼は卓越した医術の持ち主で、史記の中には『扁鵲倉公列伝』という伝記が残されており、中国における医師の最初の伝記とされています。その伝記の中に尺厥という病気についての説明で「・・・是を以て陽脈下遂し、陰脈上争し、会気閉じて通ぜず。・・・夫れ陽を以て陰に入れば支蘭蔵なる者は生き、陰を以て陽に入れば支蘭蔵なる者は死す。」という一節を見つけました。尺厥とは突然意識不明になり、呼吸は弱く、緊急処置が必要となる状態のこととされていますが、この病気について本文ではどのようにいっているのでしょうか。

まず、通ぜず。までの文は、陽が下ると本来下にあるべき陰脈が陽脈と争いあって上に行って会気(陰陽を調和させるところ)が塞がってしまう、となりますが、厥の意味※からして陰を寒気としてみますと、寒気が上にのぼった状態と考えられます。素問の『厥気上行し脈を満たし~』とよく似た状態であり、この‘脈を満たす’という条件を加えれば、気と血が一緒に上がって血管に影響を与えたと考えられます。冬場寒いところで突然に起こりやすい心筋梗塞などもこれに近いのかもしれません。

次に・・夫れ陽を以てからの文、陽が陰に入れば五臓は生き、陰が陽に入れば五蔵は死ぬ、とは一体どういうことなのでしょうか。先に、尺厥は陽が陰に入ったことがきっかけで陰が上ると書かれていました。また本文に続く文では、上記の状態に罹った方は扁鵲の治療で命が救われたことが書かれています。従ってこの文は、尺厥は適切に治療すれば助かる病気だよ、と強調するために書かれたのではと推測します。
紀元前6世紀ごろに存在したとされる扁鵲。現在でも危険とされる病気からも救った可能性があり、さすが伝記に残るだけの人物、と思いました。

※(1)多くは寒気が原因で気が逆行する状態(2)突然めまいがして意識不明になる状態(3)手足の先から冷え上がって意識不明になる状態

参考:『史記』扁鵲倉公列伝訳注 森田傳一朗著 雄山閣出版

11月6日「気一元論」
冬の寒さに近づいてまいりました。夕暮れも早くなり、気分も落ち込み易い時期かもしれません。今回はそんな気分を吹き飛ばすために、体のことから離れた内容にしたいと思います。

前書きとして・・・
これまで漢方漢方と何度も書いてきましたが、漢方は5~6世紀に中国から伝わったものを日本が独自に発展させた医学であり、中国で古代から発展してきた医学の中医学とは区別されています。日本では一般に両者を区別せずに漢方と言っていることが多いので、こちらでも漢方と書いておりますが、今回は区別して、中医学について書かせて頂きます。

中医学は五行学説、陰陽学説、気一元論という考え方をもとにしていますが、これらは自然、宇宙の成り立ちまで考える壮大な学問から生まれたもので、それらを人体に応用することで中医学は独自の理論体系を発展させてきました。今回は気一元論について少し触れたいと思います。

中国古代の思想家たちは、世界は何からできているか、自然はどうして変化しているのかということを考え、すべての現象について当てはめることができる理論を見つけ出そうとしました。     それが‘気’です。気は物質どうしを媒介し、自然界全体をも一つにつなげるものである(『荘子』天下篇)とし、気は宇宙が進展変化する最初に宇宙全体に充満していた混沌としたもの、無形のもので、その集合によって有形な物体が形成する原始的物質であり、すべては気からできている(『春秋繁露』玉英第4)と考えられました。

上述したような世界を構成する気を広義の気とするのに対し、中医学での気は気血水の中の一つであって、概念的な広がりは狭く、狭義の気とされています。広義の気の理解を深めることで、もっと広い中医学の世界が見えてくるかもしれません。

10月26日「緊張と冷え」
先日趣味のピアノでコンクールを受けに行ってきました。手が冷えて中々練習通りにいきませんでした。冷えというと単に暖めればよいと思われがちですが、緊張状態の時はそう簡単にはいきません。カイロを使えば手は冷えたままで頭ばかりが熱くなって反って逆効果です。それは体自体が冷えているのではなく、一時的に気の巡りが悪くなることで手足末端に熱がいかないために起こる冷えだからです。冷えといっても色々あります。今回は緊張による冷えの失敗談でした。


10月4日「陰陽説とコンピューター」
今、加地伸行著の‘<教養>は死んだか’という本を読み始めたところですが、その中に、「二進法は、古典『易経』における陰と陽二要素の組み合わせにヒントを得て考案され、コンピューターの開発につながった」という内容の一節がありました。少し調べてみると、易経では陰と陽を記号で使い分け、いずれかを3つ選択することで、8通りの図形を、6つ選択することで64通りの図形をつくったようですが、こうしてみると(数字を図形で表現したことを除けば)二進法そのもののような感じがします。古典は一見、古くて現代の科学とかけ離れているような印象を受けますが、科学を先取りした一面を持ち合わせているようです。古典の中には現代に生かせるものがまだまだ眠っているかもしれませんね。

9月22日「ヤモリ」
先日お風呂場の窓を閉めようとしたら、ぽたっと何かが落ちてきて、ゴキブリか!っつと思いきや、五本のかわいい指をガラスにピッタリはりつかせた生き物。どうやらヤモリのようです。漢方では様々なものが薬になります。ヤモリもその一種(ただし薬で使用するのは大ヤモリ)。漢方では蛤蚧(ごうかい)といって、喘息や頻尿、神経衰弱などで使用されます。内臓を除去し、お酒に漬けたり、乾燥させたりして服用します。素晴らしい作用がある薬ですが・・・飲むにはかなり抵抗がありますよね。

 

9月16日「紫蘇」
秋になり、我が家の庭にかわいい紫蘇の花が咲き始めました。
さて、紫蘇といいますと葉の方を料理に用いることが多いと思いますが、漢方でも軽いかぜの改善や消化促進、解毒・防腐などを目的に利用されることが多く、夏の食欲不振や食中毒予防にぴったりの食材といえます。

一方、花を咲かせたあとにつく実も生薬の一種であり、咳や喘息などに使用されます。秋は肺の不調が多くなる季節で、これもまさに秋にぴったりの食材といえるでしょう。同じ植物でも、季節により異なる効果が発揮される紫蘇を観ていると、旬のものを食べることの大切さを感じます。
 

9月10日「秋が近づいてまいりました」
朝晩は少し涼しくなってきました。秋がゆっくりと近づいてきているのを感じますが、みなさま如何お過ごしでしょうか?
現存する最古の中国医学理論の著作である『黄帝内経』では、人間が自然環境(四季)の変化に適応することの重要性を説いており、その中に「秋は心安らかにし、肺を清浄に保ちましょう。」という一節があります。秋は読書の秋、運動の秋と申します。のんびり読書をしたり、山の綺麗な空気を吸いに出掛けるも良いかもしれませんね。

9月2日「ストレスは万病のもと」
暑い日がまだまだ続き、不快でストレスを感じる方も多いのではないでしょうか。
ストレスは万病のもと、ということはよく聞く言葉です。現代医学でも、ストレスが糖尿病や血圧、心臓病などにに及ぼす影響については研究されています。漢方でいえばストレスとは、喜・悲憂・怒・恐・思などの感情が過度であったり、長期的に続く状態に近いのではないかと思います。それぞれの感情は、気を緩める・消耗する・上げる・下げる・うっ結させる作用があります。それらの偏りは気の動きに変化をもたらし、臓腑の動きや水血にも影響を及ぼすため、漢方からいってもストレスは万病のもとと言えるでしょう。ストレスが溜まったと感じたときは、目を閉じて、何も考えないようにするのも病気予防の一つだと思います。

8月24日「同病異治」
よく、~病は漢方で治るの?ということを聞かれます。しかし、その方の状態をきいてみないと分からない、というのが答えになります。漢方では病名でなく、その人の病気の過程、体質、現在の状態すべてを含めて体がどのような状態にあるのか判断した上で薬を決定します。ですから、たとえある人がある漢方薬で治ったとしても、同じ病気の他の人に同じ薬が効くとは限りません。これを同病異治といいます。逆に言えば、漢方では効果がないと考えられていた病気であっても、ある人では漢方で改善できる可能性があるのです。漢方は、無限の可能性を持っている魅力的な分野だと思います。

8月17日「喉の渇きについて」
蒸し暑く、喉が渇いて水分を多くとる時期が続いていますね。水分をうまくとるコツとして、喉が渇くと感じる前に水分をとるということが言われています。喉がからからに渇いてから水を飲むと、喉の渇きが癒されるまでに時間がかかり、水分を取りすぎる恐れがあります。更に、水分の過剰摂取は、体内での水分の輸送機能の失調を招き、逆に喉が渇いてしまう場合があります。
暑い日は、一口水を飲んでからお出かけするといいでしょう。

8月14日「アレクサンダー・テクニック」
8月13日にアレクサンダー・テクニックというものの講習に行ってきました。アレクサンダー・テクニックとは、俳優のアレクサンダーさんが、歌うときに喉が不調になったことをきっかけに、個人個人が持つ癖が、日ごろの活動の邪魔をしていることを発見し、癖をやめて体全体を調和させることで、潜在能力を引き出すことが可能になるというものです。漢方でも、体のバランスを保つことを大事にしており、ある部分が弱くても、強く働きすぎても害があるとされています。例えば肝が強すぎると脾の機能を弱めてしまったり、火である心が弱まると、腎の水を制御できずに溢れたりというように・・・
病気だけでなく、潜在能力さえも引き出してしまうということで、バランスを整えることの大切さを改めて感じます。

8月7日「臓器間のネットワーク」
8月5日の日経新聞朝刊で、臓器間を結ぶ新たなネットワークが発見されつつあるという記事を見つけました。ある臓器の情報が神経回路を通り、脳を介して他の臓器に伝わるというような内容でした。
臓器間のネットワークといいますと、漢方の世界では五行説の考え方※によって理論の基礎となっておりますが、それが科学の世界ではまだ未知の領域であることに驚き、漢方の理論を科学的に証明することがいかに難しいことであるかと感じました。漢方はあいまいなものと思われがちですが、今後科学の研究が進むにつれ、西洋医学との歩み寄りも進むかもしれないと期待を持ちました。

※自然界の木火土金水間の関わりを人間の臓器に置き換え、相互作用しているというもの

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